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第十九回文学フリマックス

勢いというものが大切かと思いましてね。フリマックス! 意味はない。

十一月二十四日、東京湾岸にある巨大な倉庫のような建物、東京流通センターにて、文学フリマは開催されました。第十九回めにして、これで最後の、「文学フリマ」でした。

なぜなら次からは文学フリマ東京と呼ぶことにすると発表されたからです。文学フリマ東京、文学フリマ大阪、文学フリマ金沢。それで云うと、ックスという名の都市で開催することが決りさえすれば、文学フリマックスは堂々と成立することになります。フリマックス! 意味はない。

文学フリマに限らずですがこうした同人誌興行で入手した物のことを、戦利品と呼ぶ慣わしがあります。

場を戦場と見立てているわけで、その意識にはおそらく、必死になって徹夜気味で憔悴しつつ同人誌を作り上げいざ売りにゆくということ。必死になって怖るべき雑踏の中をかき分けかき分け目当てのサークルさんに辿り着くということ。その両方が底流しているでしょう。そのようにして獲得した冊子ならば確かに戦利品で、扇型に床に並べて写真に撮ってブログに載せたくなる心情は甚だ尤もです。皆さんそれをおやりです。

唯だ文学フリマに関しては、怖るべき雑踏ということは、ありませんね。それは運営側としては幾らか遺憾なことなのかも知れませんが、催しを愉しむ側としてはまことに結構です。文学なんてものに猛然と人が群がるというのも何だかぞっとしない話ですから、至極真っ当な状況と云えます。コミケは殺人的に混雑し、文学フリマはおっとり構える。世の中万事、棲み分けということがありましょう。

この種の興行を体験したことがあるのは平野は、ほとんど文学フリマだけでして、そのせいか、戦利品と呼ぶ気があんまりしません。目の色変えて是が非でも手に入れたい同人誌があるわけでもない。

文学フリマは、偶然の出会いにわくわくする場だと心得ています。だから平野の思いとしては戦利品ではなく、そうですね何でしょう、ぼたもちです。

そう多くもない、十指にて数え切れるほどのぼたもちを、平野は今回手に入れました。今もちょうど部屋の一隅に目を遣るとぼたもちが積み上っていますが、やあ、良かった。

ここは飽くまで「窓辺」の一員としての発信の場ゆえ、個々の冊子に就ての言及はいたしませんが、いいぼたもちと出会えました。飯穂保さんなる人物と出会ったのではなく、良き牡丹餅。ほぼ全部いいぼたもちだったと申しても宜しいほどです。

些か棘のあることを申しますが、皆様、文学フリマで買った本。きっちり全てお読みになります?

なあんだと途中で抛り出す本、ぱらぱらやって終了の本、何となく読む気がしないままに放置の本、そういったものが幾らかありゃしませんか。それもじつは毎回。実際、本というものは商品として顕れるとき、そうなりがちな性質をとりわけ強く帯びています。

本ほど、価値の見えにくい商品はない。衣服や宝飾や什器やらは一目瞭然、ご覧の通りの商品であって、だから衝動買いということもよくやるわけですが、本は違います。レストランの料理は味わってみなければ判らない、その判らなさよりも遥かに強い度合で、本は、判りません。商品として選択される場面において自らの価値をちっとも顔に出さない連中です。

そんなものを衝動買いしてどうするつもりか。

しかし考えてみれば、だからこそ。それゆえにこそ、衝動買いする以外にどんな方法があるか。数十秒間の立読み如きでは何も判りはしません。衝動買いする他ないではありませんか。逆説的な形で以て真に衝動買いするに相応しいという、本とはそんな代物です。

だから今回は、いいぼたもちだらけで、我が心眼が誇らしいような気になりつつ、嬉しくなっています。何しろ、きっちり全て読みましたもんね。そう喋る口の端には餡がくっ付いている。
 
| 平野智志 | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
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